西鉄100形は、1936~40年にかけ57両が日本車輌製造と汽車製造東京支店の2社で製造されました。
1935年に初代100形が消滅し、空番になったことから2代目100形となりました。結果1934年製の200形よりも若い番号の形式が付与されています。
1939~40年に製造されたグループは、外観が大きく変わり、正面が若干傾斜しています。また汽車製の118 - 124は旧式の丸屋根ですが、日車製の125 - 137は張り上げ屋根となっています。台車は日車製がC-10(ブリル76E2系タイプ)またはK-10、汽車製がLH(ボールドウィン54-18Lタイプ)となります。
1952年から戦後製の500形や600形と仕様を合わせるため、改造工事が実施されました。扉を前後扉に変更し前照灯の位置も前面窓下に統一されました。1971年にワンマン改造された10両については1978~80年にかけ更新改造を実施、1985年の北九州線路線縮小まで活躍しました。