西日本鉄道 宮地岳線 モ1形 1

撮影場所:津屋崎
元は「博多湾鉄道汽船」のデハ1、S4の電化にあわせて電装した経歴を持ちます。
S33に鋼体化、なおこの鋼製車体改造にあたっては、窓ガラスから扉まで流用するという経済的な工事で改造試作車と言うべき存在となっています。
(写っていないのが残念ですが、トラス棒までもが残されていました。)
1977年に廃車。台車はク366に引き継がれました。
西日本鉄道 宮地岳線は、もともと粕屋炭鉱の石炭を西戸崎港に輸送するために明治37年開業した「博多湾鉄道汽船」の路線でした。宮地岳線自体は大正14年に開業しましたが、昭和4年には早くも電化されます。西日本鉄道に合併されるのは、昭和17年のことですが、当線には「博多湾鉄道汽船」が発注した車両と、国鉄、大鉄(近鉄)の譲受車が永く活躍していました。ここではそんな経歴をもつ車両を、一部でしかありませんがご紹介します。どれをとってもなかなかの個性派揃いです。なお参考文献は「変化に富んでいた宮地岳線の電車」吉川文夫氏(鉄道ピクトリアル 668 特集西日本鉄道 P175~ 1999.4)です。 モ24のみ(鉄道ピクトリアル292 特集西日本鉄道 1974.4)
撮影場所:津屋崎
元は「博多湾鉄道汽船」のデハ1、S4の電化にあわせて電装した経歴を持ちます。
S33に鋼体化、なおこの鋼製車体改造にあたっては、窓ガラスから扉まで流用するという経済的な工事で改造試作車と言うべき存在となっています。
(写っていないのが残念ですが、トラス棒までもが残されていました。)
1977年に廃車。台車はク366に引き継がれました。