伊賀線は1916年に伊賀軌道により関西本線の伊賀上野と上野町(現在の伊賀市)間が開業したのが始まりです。1922年には伊賀上野 - 名張(後の西名張)間が全通し(伊賀鉄道)1926年には電化されました(→伊賀電気鉄道)。5180形はこの年にデビューしています。1944年に近畿日本鉄道に落ち着くまでは他線区同様頻繁に名称を変えています。 1977年に5000系が投入される当時は、伊賀線のヌシ的存在であるモニ5181形をはじめとして伊勢電出身のモニ5201形、クニ5361形や、もと信貴山急行山上線のモ5251形などが活躍していました。
近畿日本鉄道 モニ5181形
もと伊賀鉄道デハ1形(1 - 6)で1926年に川崎造船所で製作された14m級の半鋼製です。トラス棒で台枠を補強するという古風な車体ですが、なんと当初から直流1500Vであることは特記すべきでしょう。デハニ1形を経て、1941年3月の関西急行鉄道成立時にモニ5181形モニ5181 - 5186と改番されました。以後全車廃車となる1977年までこの形式で通しました。長く変わることなく伊賀線で主力車両として活躍してきたヌシ的存在と申せましょう。
近畿日本鉄道 モニ5201形 5201
もと伊勢電気鉄道モハニ201形でモハニ211形とおなじく1928年に製作された17m級の中型車です。(ともに一形式1両)伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に買収され、その後関西急行鉄道が1941年に発足するに及んで、各々モニ6201形(6201)と改番されました。
名古屋線の改軌(1959年)にあわせ、いったん台車を標準軌に履き替えましたが、養老線に転出するに際し再度狭軌にもどし、伊賀線に転じてきました。モニ5201形 (5201 -2)と改番されたのはその後のことです。
近畿日本鉄道 モニ5201形 5202
もと伊勢電気鉄道モハニ211形でモハニ201形とおなじく1928年に製作された17m級の中型車です。(ともに一形式1両)伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に買収され、その後関西急行鉄道が1941年に発足するに及んで、各々モニ6201形(6202)と改番されました。
名古屋線の改軌(1959年)にあわせ、いったん台車を標準軌に履き替えましたが、養老線に転出するに際し再度狭軌にもどし、伊賀線に転じてきました。モニ5201形 (5201 -2)と改番されたのはその後のことです。
近畿日本鉄道 クニ5361形 (5361)
もと伊勢電気鉄道デハニ231形で1930年に製作された17m級の半鋼製車です。
伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に買収され、その後関西急行鉄道が1941年に発足するに及んで、モニ6231形と改番されました。1958年にモニ6236 - モニ6240の5両が電装解除され、そのうちモニ6240を電装解除したクニ6240が1960年、伊賀線へ転用されたというわけです。その際クニ5360形クニ5361に改番されました。
近畿日本鉄道 モ5251形 (5201 -2)
もと信貴山電鉄デ5形(5~7)で山上線の開業1930年にあわせて製作された14m級の小型車です。同線が休止されるに及んで2両が山を下り、その後南大阪線で モ5251形 (5201 -2)と改番されました。伊賀線に転じてきたのは1946年のことです。
近畿日本鉄道 モニ5201形 (5201 -2)
もと伊勢電気鉄道モハニ201形とモハニ211形で1928年に製作された17m級の中型車です。(ともに一形式1両)伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に買収され、その後関西急行鉄道が1941年に発足するに及んで、各々モニ6201形(6201.2)と改番されました。
名古屋線の改軌(1959年)にあわせ、いったん台車を標準軌に履き替えましたが、養老線に転出するに際し再度狭軌にもどし、伊賀線に転じてきました。モニ5201形 (5201 -2)と改番されたのはその後のことです。